放送事故

最初にこういう発言があったそうだ。

毎週欠かさずとはいかないまでも、わりとNHKFM水曜午後四時からの番組が好きで、実はかなりファンでもある鈴木万由香さん。彼女のブログでいきなりこんな文章があったものだから、一体ナニがあったものかと驚いた。↓
http://www.morinobuna.com/blog/2009/04/21.html
その後↓
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=816460&media_id=59
なんかかなりネットをにぎわしているみたいだが....?
率直な意見に対して、率直な返答と言うことでムッときて、フォローして、とりあえず公共放送なので大人的対応して、丸く収まったふうなのだが...?
ナニが問題なのか?
これが問題なら....表現された作品に批評するな。批評されても文句言うな。
ということなのかい?
ま、とりあえず公式にはどちらもブログを通じて謝罪したことが「大人の対応」って事でOKなのだろうかねえ...エレカシ宮本謝罪↓
http://www.elephantkashimashi.com/
どちら御大人も日本の音楽業界においてはかなり影響ある人...表現者と評論者...で有名な人であるから、むしろ今までどいつもこいつもマッチポンプで持ちつ持たれつで「素晴らしい作品マンセ〜」ってのがおかしいのであって、こういった表現側と評論側の対立ってのはむしろ人としては普通の状況だと思うのだが。
それより事後処理の大人ッぷりのほうが、妙に後味悪い。言いたいことも言えない世間を包む閉塞感。それがロックか?
でもね...それが日本だ。我が国だ!
なんだろう、このメジャーといわれる世界に渦巻く言論弾圧は?言いたいことも言えないのなら評論家はいなければいい。言いたいことも言えないのならロックは死んだ方がましだ。そもそもロックってのはロックを歌うことがロックなのではなくて、生き方自体がロックなことをロックと呼んでいたのではないか?
つまり今回の二人の言動こそがロックであり、それをとやかくいうこと自体がすでにロック否定である。否定されたところで歌われているロックはすでにロックではない。ロックは死んだと言われて久しいが、そんなことはないと信じていた自分の甘い妄想は、今更ながら木っ端みじん。遙か昔にロックは死んでいたのである。
かろうじてエレカシ宮本の謝罪文では「リスナー」に謝罪はしていても鈴木さんに謝罪はしていない。着地点としてはこの辺がベターなのかもしれない。
鈴木さんのブログでは「ひとことで云うならば、私の心の弱さです。」とあるが、心が弱ければ言いたいことも言えないなんてのは違うと思う。ま、褒められることを前提としてエレカシ宮本が番組出演したといたら、それはそれでお笑いだ。
というか、ほとんど現在の自分はエレカシ聞いてない。20年くらい前に聞いたこと(あのころはバリバリなパンクじゃなかったか?)はあった気がしたが...こんな事が続くから原田知世以外の日本ソングを聴かなくなってきたのかもしれないな、自分。
久しぶりに頭脳警察のライブでも聴きたくなってしまった。