表サイトにも書きましたが

 次世代の人々へ世代を越えて心を伝えるにはどうしたらいいのでしょうか?一番はじめに思いつくのが「文字」です。紀元前もの昔から、文字は言葉を記録するためにはもっとも有効な手段であり、大昔の文献が現在まで伝わっています。
 しかし、文字を一般大衆が自由自在に操られるようになったのは、つい最近のことであります。大昔から、つい数百年くらい前まで、文字はごく一部の特権階級のものだったのです。
 フクロウと文字、一見全く関係なさそうですが...
 今でこそ日本中でフクロウがブームになりましたが、十数年前まではほとんど省みられることはなかった存在です。これはほぼ日本だけの状況で、ヨーロッパや南米、その他の国々でフクロウといえば縁起のいい鳥。あるいは知識の神、森の賢者などと、いろいろな意味で慕われ、重宝されてきました。その起源は紀元前ギリシャ時代からとも言われるくらいです。文字を知り得る事ができなかった一般の人々にも、フクロウ信仰に近いモノが浸透してきたのでしょう。
 たとえば「森の賢者」で「学問の神様」だから縁起がいいと言いつつ、人々に勤勉の勧めをする。ただ「勉強しろ」と子供のお尻を叩いても、よけいに勉強しなくなることは、子育て経験のある方なら御存知でしょう。そんなときに子供にフクロウの話をしつつ、勤勉の奨励をする。多少は勉強しなきゃなあと、思わないこともない。
 そんな親心が形となり、形が時代を超えて伝わり、その形に託した心も時代を超えて伝わって行くのです。「もの」には必ず「物語」がついてきて、言葉だけでは伝えきれない思いを補完する。持ちつ持たれつの関係です。時を超えた思いを伝えるアイテムの一つとして、フクロウを考え出した昔の人は、えらかったですねえ。
 「フクロウ」とテーマの「時間」を何とかこじつけなくてはいけなくて、でっち上げた文章だが、何遍読んでもサッパリ訳が分からない。誰か説明してくれないであろうか?(←おいおい)
 新潟木工展、まだ出発前なのに疲労困憊である。