中上健次

 の長女、中上紀のエッセイ「いつか物語になるまで」読了。
 御存知の通り新潟県中越地震のため、いろいろな日常生活に変化がある。その変化の一つに、NHK新潟ラジオ局に限りNHK第一放送とNHKFM放送が終日同一番組を放送することになった。いつも仕事中にNHKFMを聞いていた自分にはちょっと不満も残るが、そこは大震災でもあることだし、文句を言えた義理ではない。そこで、午前中放送されていたエッセイの朗読番組で、この「いつか物語になるまで」が流れていたのだが、新潟地区に限り聴取できなくなった。
 しょうがないんだけれど...
 そこで続きが知りたくなり、図書館で借りてきたわけだ。何せ中上紀といえば中上健次の長女である。当然彼女につきまとうパブリックイメージとしては

残念でしたと、言いたいが、不幸にも私が口を開く前に、ペラペラと要らぬ事をまくし立てる妹がいる。
 酒に関しては「この人凄い酒乱ですから、飲まさない方がいいですよ」
 タバコに関しては「前はすぱすぱ吸ってましたけど、今はなんとか禁煙中なんです」
自分もそうだと思いこんでいた。失礼しました。
 若い頃読んだ中上健次のエッセイで、東南アジアへの旅行中に、ジュースが飲みたく、屋台の人にお願いしても全然出してもらえず「最初にお金を渡さなきゃダメだ」と親父さんにさとされた女の子が、いつのまにかこんなに大きくなって小説家になっていた。職人だったら世襲して親と同じ職業の人はいっぱいいるが、小説家の場合は状況がかなり違うと思う。同じ職人でも「大工」が「鍛冶」になるくらい違う。職人としての精神的な根は同じかも知れないが、そこからできてくる製品(小説)は全く違うモノなのである。そんなことにも気がつかず、いままで中上紀の小説を一冊も読んでいなかったことが悔やまれる。
 てか、今回読んだのはエッセイであって、小説は未だ未読なのだが(←読めよ)