「空の境界」奈須きのこ

 「なす」と「キノコ」で秋の食材...くだらない冗談がふと出てきそうなひとを食ったようなペンネームである。加えてこの表紙のアニメ絵。ライトノベルの王道である。しかし最近この業界の新作には侮りがたいモノがかなりあると看破した自分にとっては、そのパッケージを超えた心理を見据える目が備わっていた...から、この本を読んだのではなくて、ただ単に新刊として書店で平積みされていた本が、図書館の返却窓口に置いてあったのを見つけたから「あ、この本借りていいですか」「どうぞ」普段だったら決して手に取るようなこともない本を読んでしまうきっかけというのは案外こういった些細なことである。
 ところで最近文庫本で装丁もあらたに笠井潔の「バンパイアウォーズ」が再販されていることをご存じであろうか?ソレも作品社から全一巻として出ているモノをご丁寧に全十巻にして...何より驚いたのはその表紙である。アニメ絵だ。まさか日本のライトノベル業界はここまでやっちゃうとは驚きであり。そして「空の境界」の表紙であるが、そのバンパイアウォーズの表紙イラストかいた人と同じだったりして。
 肝心の内容だが、とにかくその世界、というか文体になじむのに苦労した。なにせ主要登場人物の女性二人が男言葉で会話するのだ。そこにちょっと気弱そうなメガネおとこ君が、気弱そうな言葉で話す。くわえて、文章が一人称で展開されていくのだが、章が変わることにその一人称の主体(たとえば主人公だったり副主人公だったり敵役だったり少年だったり少女だったり)がころころ変わるのだ、読み始めの数十ページは混乱しまくりでさっぱりわからない。とまあ、自分的にはかなりハードルの高い小説だった。しかし...
 その困難を乗り越えて、ひとたび小説世界になじんでしまえば、後はジェットコースター小説である。一気に読了。上下巻で900ページくらいある分量なのにである。このなかで中編が数点ちりばめられていて、それぞれがつながりあっている。元々同人誌で発表されていたモノを加筆修正したものだそうだが、同人誌といういかにもシロウトっぽい描写などは皆無でプロフェッショナルな見事な仕事と言わせてもらいたい(どうも自分が知らないだけで、その筋ではかなり有名な御仁らしいのだが)こうなるとあのカバーのイラストだけがどうもなじめなく...コレはあくまで私見であるが。
 圧巻は上下巻の巻末にある解説...なんと笠井潔...できすぎだ。上巻の解説では、ほとんど本編内容にふれておらず、下巻解説で本編にふれてはいるのだが、まるで彼の処女評論「テロルの現象学」のように、難解すぎて何かいてあるか自分には理解不能。ただ凄みだけが伝わってくる。
 ここ数年「オタクカルチャー」に興味があって、いろんな文献を読みあさっているのだが、ここまでくると「オタクカルチャー」とか「ライトノベル」とか、今までの自分はいささか「自虐的に自ら発信した文化を卑下した表現」と思っていたのだが、この認識を変えなければいけない。てか、自分はあまりにこれら文化のコトを知らなすぎていたのだと、猛省するのであった。

空の境界 下 (講談社ノベルス)

空の境界 下 (講談社ノベルス)