「サイボーグとして生きる」マイケル・コロスト

まるでSF小説のタイトルのようだけど、SFではありません。ノンフィクションです。
この著者は、中途失聴者です。生まれつき難聴だったのだが、ある日全く音が聞こえなくなり、インプラント(体内埋め込み型機械装置。というか極小パソコンというか)を頭に埋め込み、マグネット式の接続装置を付けることによって、音を認識するのである。
というと「素晴らしい科学技術がそこまで発達しているのか」と勘違いしそうだが、そんなに世の中甘くない。
装置も発展途上なら、ソレをリハビリしながら、何とか音声を認識しようと悪戦苦闘する著者も大変だ。ただこの著者もかなりユーモアたっぷりな人?らしく、随所に人間くさいにおいを振りまいている。私生活での女性との出会い。出会い系サイトで知り合ったと思える人たちとのエピソードが、そのまんまなのですよ...つまり接続装置を頭に付けないと音が聞こえないので、ベット上での睦言も装置がはずれちゃうと聞こえないのだ。そこまでの描写って、先進技術を使って傷害を克服しようとする人の自伝ではまず出てこないよな〜でもこんな描写にかなりページを割いていたりするところに、著者の人間性を感じてグットだ。
本書全体を通じて言いたいことは、多分こんな事だろう。どんなに技術が発達してきても、その技術を人間が習得するためには大変な努力がいるってことだ。理論的にはかなりうまくいっている装置しても、ソレを受け入れる側の人間の脳みそも、それなりに訓練して、装置に似合うだけの技術の習得がないと役に立たない。実は装置にあわせた脳内ネットワークの再構築が必要であるということだ。だから、原題は「REBUILD」作り直しってことなのだ。
SF的サイボーグと実在するサイボーグとの違いを、80〜90年代のアメリカサイボーグフィクション?(600万ドルの男とかスタートレックなどだ)を例にとって解説されると説得力がありまくる。そこにはまさにサイボーグとしての、機械と生体との真の共存を目指す絶え間ない努力がある。
と、大上段に原理原則を振りかざすほどのものでもなく、著者自体、そんな自分の体に埋め込まれたインプラント式聴覚装置との共存を、かなりお気楽に模索しているのではないだろうか?本当はモノスゴク大変じゃないかと思えるものなのだが、そのようにお気楽に表現してしまう著者の人間性によるものだと思う。
わりとおもしろかった。
サイボーグとして生きる