「ノルウェイの森」村上春樹

いや〜開き直って老眼鏡にしてから、小さな文字も鮮明に見えて快適。そんなわけで趣味の読書も久しぶりに進んでいる。本当はちょっとでも仕事を進めていなければならない時期なのだが...ま、いいや。
今更ながら村上春樹である。自分でもかなり時代遅れだなあ〜などと思ってみたりするが、かの大塚英志先生もいっおられるとおり「村上龍は旬のある作家だが、村上春樹には旬がない」(間違っていたらスミません)というわけで、いつ読んでもOKなのだ。まして世の中、村上春樹再評価ブーム真っ盛り。書店では氏が翻訳した最新刊「グレートギャツビー」が平積みされているわけだし、全くこの世の春(何度目だ!!??)ってなわけだ。グレートギャツビーといえば、「華麗なるギャツビー」という邦題で映画封切りもされていた。当時自分は中学生。華麗なるギャツビーがどんな作品かはぜんぜん知らないが、クラスの中ではかなり有名な映画だった。実は同時期に「エマニエル夫人」という映画があって、自分の住んでいる地区では「華麗なるギャツビー」と同時上映二本立てだったのだ。お約束のようにクラスの悪ガキ連中は親にこっそり「エマニエル夫人」を見に行くわけだが、貧乏小せがれとしては一円でも安く映画を見たい。そこで前売り券を買いに行くが「エマニエル夫人の前売りください」とはどんな悪ガキでも言いにくく「華麗なるギャツビーの前売りください」バレバレだ...R指定のない(成人指定はあったよ)古き良き時代の出来事だ。
話がそれたが、この「グレートギャツビー」のコトがちょっとだけ本書でも登場する。主人公の愛読書なのだそうだ。主人公を自分に照らし合わせて小説書くのは普通のことなので、きっと作者もこんな人なのだろうかと思わせる(多分違うと思うけど)
本書は「限りない喪失と再生を描く」とある。確かに喪失がたくさんある。一言ではとても言い切れないいろいろなことがあり、物語は大いなる癒しの瞬間へとなだれ込んでゆく〜ということはなく、淡々と、静かに進む。表面上は静かな物語だが、登場する女性達はそれぞれ言い難い困難に巻き込まれ、ほぼ壊れかかっている。そこから再生していくのに主人公のワタナベ君は実に癒し系の男なのだ。時には会話。時には肉体(?)で壊れかかった彼女たちを救っていく....のならいいのだが、全員ハッピーに救えるわけはない。ワタナベ君も生身の体は一個だけ。みんなを救って上げたいところだが。何となく自分の存在が救いのきっかけになればという感じの、ゆる〜〜〜い癒し系だ。あまりこの辺で万能的にすべての悩める女性を完璧に救えます...じゃ、怪しい新興宗教教祖様だよね。
残念ながら、何人かの女性は救いきれず自ら死を選んでしまう。それでもまあ、何となくハッピーエンドなのだろうな。
ラストで主人公のアイディンティティーを揺さぶる一言がキツイ。あなたの存在は何なんだ?あなたは今どこにいるのだ?ココハドコダ?
訳のわからない感想だが、自分もワケがわからないのだ。エンターテイメントとして読み飛ばしても結構楽しめるのだが、深読みすると、きりがない。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)