「蟹工船・党生活者」小林多喜二

去年あたりから書店で平積みになっているのをよく見かけたが、いよいよ日本も大変だという今年になってもう一回読み返してみた。初めて読んだのがいつだったか思い出せないが、確か荒俣宏の「プロレタリア文学がスゴイ」だった?を読んだとき、その流れで借りて読んだのだが...親父の本棚に最近買ってきたらしい新潮文庫版のがあった。オマケの「党生活者」ていうのも、結構おもしろかったが、蟹工船ほどの衝撃や理不尽さは少ない。
共産党が非合法組織だった時代なんて自分はまだ産まれていなかったし、こういう時代を経て今の日本があるのなら、それなりによくはなっているのであろうか?年末年始の派遣村報道などを見ると、形が変わっているだけで本質はあまりかわらないのであろうか?よくわからないなどと考えているうちに、いつの間にか自分の身に降りかかってしまっているかもしれないという漠然とした不安がつのってくる。
蟹工船。字のごとく、漁をする船ではなく、収穫されたカニをすぐその場で缶詰に加工するための工場...と言いつくろっているが船だ。国際法だかなんだかの網の目をくぐり抜けるための方便。その船の糞壷と呼ばれるところに集められた船員たちの地獄の底の状況をとことん描写する凄惨なお話。
重労働あり制裁リンチあり釜掘りありの悪夢のような状況に、団結して戦おうとするのだが、蟹工船ソビエトから守るために護送してきた駆逐艦憲兵に鎮圧されてしまう。軍は労働者の味方ではなかった。
プロレタリア文学なので資本家と労働者の対立を明確に書かれているはずなのだが、支配階級の資本家たちは出てこず、現場の監督と労働者との闘争がメインであり、そんな支配者側の現場監督も、今回の事件の責を問われクビになってしまうのだから、結局真の敵としての資本家の姿がまるで見えてこない...最近の報道では「昔と違って原題では労働争議使用にも本当の敵の姿がぼやけて見えてこない」と言われているのをよく耳にするが、なんの、昔からその点はおなじようなものだ。
まあ、アメリカのいいなりになっているどこかの国ってのが、この現場監督ってところなのであろう。
まあ、現在は一応表現の自由が保障されていて、なに書いても逮捕拷問虐殺されないだけマシなのであろう。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)