「晴子情歌」下巻、高村薫

 難解な旧仮名使いに旧漢字。それのみならず、何しゃべっているか訳が分からない方言での会話。久しぶりに悪戦苦闘して読んだ上下巻の手強い本も、読み終えてみれば、ある女性の半生記だった。
 さらば、合田雄一郎
 殉職したわけではない。マークスの山、照柿、レディージョーカーと続いてきた合田雄一郎モノが終わったのか(休憩?)犯罪抜きの小説はひょっといたら初めてではないか?こういう言い方は作者に失礼だとは知りつつも、まるで女流作家らしくない硬派な語り口が好きだった高村薫だが、かなり豪快な作風の変革に一ファンとしてはおいていかれないようついていくのがやっとだった。息子への手紙という形態をとりながら語られる主人公晴子の半生は波瀾万丈と言うよりは、積極的に人生を切り開こうと努力するより、波乱の方がやって来る。それにあがないでもなく、自然体で受け入れていく様は実にしなやかな生き方のようにも思えるが、そのくせ自分の希望するところはしっかり押さえてあるといった感じだ。
 佐藤亜紀小野不由美高村薫。コレを持って自分の三大女流作家とする。てか、本当にこの「女流なにがし」という表記は自分あまり好きではない。男女の性差を超えた神の視点が彼女たちには備わっている、と自分は確信するのであった。あまり読んだことはないが長野まゆみ門田泰明などはきっと自分にはあわないであろう。