「黄金旅風」飯嶋和一

江戸初期、徳川家光の頃の物語。主人公末次平左衛門は手のつけられない悪童で、朋輩の平尾才介と共、若さに任せて無頼を誇っていた。やがて長崎奉行のルソン攻略から台湾の支配へと至る陰謀を知った平左衛門は、その財力、胆力を持って阻止せんと翻弄する。大まかに言うとこんな話なのだが、そこに至るまでの暴虐武人ブリを思うと平左衛門との血で血を洗う一大抗争劇が繰り広げられそうだが、そうではない。若い頃あれだけの武勇伝を誇りながら、巨大な権力の不正と戦うときに彼が使った力というのは「交渉力」と「誠実」だけである。波乱万丈な物語なのだが、物語の進行自体は実に淡々に進んでいく。
一昨年に読んだ本の中ではマイベストな「始祖鳥記」の作者でもある飯嶋和一の作品。始祖鳥記の次に書いた作品なのだが、その間じつに約四年。ハンパではない寡作ぶりである。しかもプロフィール不明。それぞれの出版物にあるプロフを見ても出身地(山形県)と数点の著作(本当に数冊しかない)が紹介されているだけで、謎の多い作家。しかしまだ二冊しか読んでいないにもかかわらず、その心の奥底に響き渡る作風は他者の追随を許さない。感動的である。
この黄金旅風だが、大波乱武闘時代小説となりそうなのだが、自体は全く違う方向へと進む。まず小説の文体からしてまるで違うのだ。普通小説なら登場人物どうしの会話から自体を説明してストーリーを継ぐんでいくはずだが、この小説では必要最低限のセリフ以外はほとんど会話のカギ括弧がないのだ。登場人物の状況と心情を描写することで話が進んでいく。それ故、時たま発せられるセリフに異様なまでの重みが出てくる。主人公と敵対する事になる長崎奉行、竹中などはそれこそセリフがない。たぶん一冊にあるセリフを全部抜き書きしても原稿用紙一枚にも満たないであろう。それなのになぜか存在感だけは異様にあったりする。これだけの小説を書き上げられる作者の異様とも思える筆力には、凡人たる自分には計り知れない神々しさを感じさせる。異様に静かな熱気。相反する情熱が渦巻く。
もっといろいろ書きたいこともあるのだが、いざキーボードを前にすると、あまりに自分の思いが大きすぎ、うまく文章にまとまらない。今日はとりあえずこんなところで、また思いついたらつづきを書こうと思います。
コレは彼のそのほかの作品も読まなければ。確か相撲取りの雷電の話も書いていた。きっと歴史上の実在の人物を書かせたら、右に出るモノなし。すばらしい。

黄金旅風

黄金旅風