「死の泉」皆川博子

本のあらすじに「この世の地獄を見ることに...。双頭の去勢歌手」と書いてあるけど、去勢歌手は出てきますが、双頭ではありません。双頭は、また別な話。
かなり手ごわい本だった。二重の入れ子状態の本書は「ギュンター・フォン・フュルステンベルグ」という人がドイツで出版した本を、日本人の野上晶という人が翻訳したという形で始まる。このギュンターというのは本書の登場人物の一人でもあり、彼がかつて体験した悪夢のような出来事を小説にしたようにつづられているのだが、これがまたややこしいことに、ラストにいきなりどんでん返しが何度もあり、最終的に何がどうなったのか確認するのに、何度かラストを読み返さなくてはならなかった。
どこまでも続く悪夢の連続。捻じ曲がった空間にとらわれたような奇妙な感覚にとらわれる。第一章こそマルガレーテの日記という形で、ナチスの小児収容施設出の話が進んでいくのだが、第二章からははほとんど三人称でかかれる。そこにマルガレーテの日記が所々挿入されるのだが、すでにマルガレーテは正気を逸しているので、それが真実なのかどうかわからない状況だ。誰が敵で誰が味方なのか混乱の状況に中に登場人物たちがたどり着く先というのは...
また翻訳者、野上晶のあとがきという形でエピローグが展開されるのだが、そこでも悪夢のような意外な事実が...
あまりにもすざましい筆致に、なんとかついていくのがやっとだった。さわやかな読後感などはかけらもない。悪夢から目が覚めないような、なんともやりきれない小説だ。じゃ面白くないかというと、そんなことはなく、むしろすさましいくらいがおりなされる悪夢の様式美がすばらしい、とんでもない小説だ。
また一人、実に気になる作家を発見したものだ。まだほかにもたくさんの作品が図書館にはおいてあるので、これからしばらくチェックしていこうと思う。