「死の泉」続き

サスガに世界的にメジャーな怪人「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」の「ハンニバルカニバル・レクター」にはキャラクター的に負けるけど、それでもかなり怪人的な本書のクラウス。この人物こそこの物語の裏主人公である。諸悪の根源であり、しかし、美をこよなく愛する「芸術至上主義者」である。彼が天才と評した、ポーランドから拉致した少年エーリヒは、天才的な歌声を持ち、そのソプラノを永久に保持するために、第二次成長期の変声前に去勢手術を施し、その天才的歌声を永遠のモノとしようとするのだが....倫理的にとてもゆるされる行為ではない。しかしそのような批判も「芸術至上主義者」の彼の耳には届かない。クラウスもかつては聖歌隊で歌っていた経験を持つが故にエーリヒの才能を見抜く。その才能が第二次世界大戦中の戦禍に失われることをおそれたクラウスは、エーリヒの兄フラッツと共に自分の養子にしようとする。しかし独身の彼にはその希望が受け入れられる可能性は低く、そのため彼の働く小児施設で私生児を産もうとしていた第一章の主人公マルガレーテに求婚する。クラウスノ求婚を受け入れたマルガリーテと、やがて生まれてきたマルガレーテの子供、ミヒャエル。そしてエーリヒとフランツ...五人の「疑似家族」とでも言うべき集団が形成されるのだが、意外にもクラウスは家族は惜しみない愛情を注ぎはぐくむのであった。
本心から愛を注ぐクラウスと「芸術非常主義」でエーリヒの美声を永遠のモノとするために去勢手術を敢行しようとするクラウス。相反するようでいて、実は彼の中では全く矛盾することなく存在する。つまり彼の心をすべて多い尽くしている事象はエーリヒのその声の持つ「美」を保つコトだけであった、そのためだけに疑似家族を形成しているのだ。
そのはずだったのだが...ナチスの敗北と共に、物語の位相もどんどん狂っていく。そんな中でもクラウスは正気を保ちつつアメリカとソ連の確執の中で絶妙な保身を演じ、戦後も戦前と同じような身分を保ち、クレバーなところを見せる。クラウスの場合どこまでが正気で、どこから狂気なのか非常に怪しいのだが、頭の良さだけはずば抜けているコトは間違いない。
結局この謎の怪人物クラウスに始めから最後まで振り回され、訳がわからないうちに物語が終わってしまったのである。
皆川博子には、このほかにナチス物(?)として「総統の子」とか言うのがあったと思うのだが、彼女のナチス本(?)はこれからチェックしていかなければならない。
どうでもいいことかもしれないが、この物語の中には「フランツ」「パウラ」「エブナー」という名前の登場者がいるのだが...どこかで聞いたことある名前だなあ...福井晴敏は「戦場のローレライ」を執筆する前に本書を読んでいたに違いないと確信したのであった。
本当にどうでもいいことだけど...