「半身」サラ・ウオーターズ

ミステリを読むというのはジグソーパズルを少しづつ組み立てていく作業によく似ている。パズルは完成に近づいていくと、当然のようにおぼろげな完成図の予想ができてくる。その完成図に近づけていくために、どんどんパズルを組み立てていくのだが...
最期の一パーツをはめ込んだとたんに、製作過程でイメージしていた完予想図が実は全然完成図と違っていたモノだったと知ったとき、一体あなたはそのパズルの制作者にどんな感慨を想う?
「やられた、はめられた」あるいは
「スゴイ、こんなことってあるのか」あるいは
「は......?」失言状態。
言葉を自在に操る現代の魔女、サラ・ウオーターズの魔法にまんまと絡め取られてしまった。すごすぎる。彼女の繰り出す言霊に、最後の一ページまですっかりだまされてしまった。
しかし、心地よい騙され状態。
これはひょっとして先日読んだ「死の泉」皆川博子...以来の自分的大ヒットではないか?今年の読んだ小説の、間違いなくベスト一、二をしめる、自分的小説大賞を差し上げたいくらいのとんでもない作品だ(←多分、作者はいらないと思う、そんな賞)ここまで、心の琴線に引っかかる作品である要因は、つまり...自分がトンデモおたくであるということだ。トンデモ本大好きな人間なら、絶対ハマる。
いや、この本はトンデモ本ではない。
いかにして人はトンデモにハマってしまうかというコトを再確認させられた本なのだ。しかもあまり詳しくその辺のことを追求すると、はっきりネタバレになってしまうので、ソコの所は読んでみてくれとしかいいようようがない。
時は19世紀。巷には霊媒師なる奇妙な商売が大流行している。この物語の主人公マーガレットが慰問先の女性刑務所「ミルバンク」で出会った女性シライナもそんな霊媒師の一人だった。彼女は降霊会の最中に起きた彼女のパトロン「ブリンク夫人」の死亡(殺人?)事件の犯人としてミルバンク刑務所に拘留されている。その刑務所への慰問を続けているうちに、マーガレットとシライナの間には奇妙な友情....愛情...いやそれよりもっと崇高な結びつを感じるようになっていくのだ。
なぜシライナはパトロン殺害の嫌疑を掛けられたのか?霊媒師とは何か?霊の世界とはなにか?そしてシライナが語る「半身」とはどういった概念なのか?
緻密な構成を持って霊媒と霊の世界を構築していくシライナの語り口に読者もぐいぐい引きずり込まれていく。
ところで、そこまで確立された世界で霊媒師のパトロンとして生計を立てているはずのブリンク夫人が、降霊会の最中に死んでしまうなんて。霊が出てきたショックで?いや待て、降霊会を何度も主催して、貴婦人たちを沢山集めているのが彼女の主要な収入源のはずなのに、今更霊が降りてきたといって、ショック死するか?
文章を深く読めば読むほど、不可解な状況が二重三重と繰り広げられる。果たしてこの物語がのこり40ページ(昨日の読み残し時点)ですべてが納得行く説明で解明されるのか?京極夏彦だって謎解きには100ページくらいは普通つかうぞ(←おいおい)
ま、詳しい話を言うと、モロネタバレなので、この辺でやめておく。
最後まで読み終えた自分の場合、しばらく事態がよく飲み込めなくて、また最初からページをめくりなおした。最終ページが最初のページと連動している。なんか京極夏彦の「ジョロウグモ(スミマセン漢字忘れた)の理」の様だが、そうやって全体像を確認すると、つまり、それは、ええと...映像的には..
以降、ネタバレにつき、未読の人は見ないこと

霊媒治療にやってきた少女にみだらな行為(「刻印」とかっていっていたが)をしようと、幽霊役の女が裸の腰に張り型くっつけて、いままさに襲いかからんとしている状況をパトロンのブリンク夫人に発見されて、そのあまりに異常な光景にショックを起こしてブリンク夫人死亡....ってコトでいいんですよね?
ついでにピーター・クイックはルースでヴァイガーズでもある、でいいんですよね?いやこの辺のことは全く本文中でふれられていないんで、自分流解釈なので間違っていたらゴメンナサイ。

十九世紀のイギリスといえば、霊媒大ブームの時代。どいつもこいつも霊媒にハマってしまっている。もっとも有名なだまされ屋さんは、かの有名なコナン・ドイル。あのシャーロック・ホームズの生みの親だ。めいっぱい霊媒にハマッテしまい、まか不思議な超常現象をこよなく愛し、あまつさえ子供たちが適当に作った妖精のインチキ写真を「これこそが妖精実在の証明である」と太鼓判を押してしまい、霊媒ドツボにハマりまくってしまった偉人。たむけられた言葉に「彼にホームズのような冷静沈着なる分析力があればなあ〜(うろおぼえ、確か本当の文章もこんな)」
そんなうさんくさい霊媒師をここまで系統立てて解説して、霊媒世界も現実世界とかわらぬように存在すると間違えるようにさせてしまう物語には参ってしまう。そしてまさにこの本のタイトル「半身」というのが重要きわまりない言葉としひしひし伝わってくる。「半身」とはつまり、魂のパートナーとでも言うのか?死後の世界では人は魂の存在となり、その存在は二つで一つの完全対となる。死後、自分の魂のパートナーたる「半身」を探してさまようのだが、ソレは自分の生前の伴侶とは限らない。生前に自分の半身に出会える幸福などとは、素晴らしき幸福であろう。
いやまあ、それはおいておいて、自分もあっさり、いろいろ、ええとダマサレテしまいました。
このサラ・ウオーターズは「荊の城」と本書しか翻訳されていないと思うのだけれど、こっちの方が自分にはショックだった。「荊の城」はラスト「もうこうするしかないよな」的だったが...本書の場合、ジグソーパズルの最後の一ピースがハマったとたん、自分の思い描いていた物語世界がすべて崩れ去り、真の物語がその姿を現す。
そんな魔術めいた物語を描ききるこの作者こそは、現代によみがえった言葉の霊媒師に違いない。
大絶賛。

半身 (創元推理文庫)

半身 (創元推理文庫)