「生きさせろ」雨宮処凛

ここのところ自分的にすごく気になる作家になってしまった雨宮処凛である。ATOKで一発変換できるよう辞書登録してしまった。テレビなんかでも、その姿をちょくちょく見かける。ちゃんと「ゲスト雨宮処凛」としてクレジットされていない、画面の片隅やステージの一角で見かける。例によってあの「コスプレ作家」の衣装姿、一度見たら忘れられないので、一瞬だけでも写れば、ああテレビに出ておると気がつくのである。雨宮処凛の戦略の勝ちである。
新潟にも「こわれ者の祭典」などにちょくちょく出るのか、ローカルテレビでもその姿を拝見することができる。当初は売名行為かなどと不謹慎なことを考えたが、これだけ精力的な活動と、説得力ある著作。全く雨宮処凛を誤解していた自分が恥ずかしい。
とまあ、雨宮処凛絶賛ではじまった本書の感想だが、内容はドツボである。日本の現状がどうもおかしいのではないかという、ぼんやりとした不安感を、ハッキリ目に見える形にわかりやすくしてくれたのが本書ではなかろうか。自分もそうだが「ココ数年景気回復基調が続いている」などと大本営発表されても、その実感は全く感じられないのだ。また年金問題にはじまる社会の閉塞感、不安感が募るばかりで、この先どこに突破口を見つけたらいいのか?
そんな疑問に雨宮処凛はたった一言で断言してしまった。つまり「生きさせろ」
生まれたからには生きる権利があるのだから、生きさせろと言うことだ。
すでに根深い社会問題となっているフリーター、人材派遣業など、昔でいう置屋家業が羽振りをきかせ、人を人とも思わぬ環境で使い捨てにする。じゃ、しっかり社会人として正社員となればどうかというと、正社員は正社員でサービス残業当たり前。それを断って首にでもなれば、明日からあなたもフリーターである。何でこんなに消耗しきった働き方を強いられるのだ。
そこでだ「全国のプレカリアート団結せよ」ってコトなのだ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/プレカリアート
ウィキペディアでの解説。
ライオン似の元総理が在職中に「自己責任」を連呼していたが、実にもっともらしい「自己責任」という言葉には、実に巧妙に「自己責任」を自分の意志ではないのに、させられているのだ。誰が好きこのんでフリーターなどやっているものか。将来の不安を抱えながら現在を何とかかろうじて生き抜いているのが現実なのだ。
というわけで、自分自身もいつの間にか立派なプレカリアートになってしまっていたことに気がついた一冊であった。

生きさせろ! 難民化する若者たち

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