「ジュスチーヌまたは美徳の不幸」サド

前回の川崎出張でのお伴の本はコレ。年間何十冊も本を読んでいると、一冊くらい本書のように読書するのにやたらと体力を使うというか、妙に疲れ切ってしまう小説ってのに出会う。コレと似たようなやるせない徒労感を感じた小説は「家畜人ヤプー」だ。ヤプーは余りに疲れ切ってしまい、二巻を読む気力が出ない。全五巻あるので、多分全巻読破できないであろう。
さて本書の作者はサド。モチロン知らない人はいないであろう、あの元祖サディズムのサド侯爵だ。以前に澁沢竜彦の全集でサドの生涯なんかを読んだことがあったが、作品を読むのは初めてだ。
ところで、タイトルにある「ジュスチーヌ」だが、主人公の名前は「テレーズ」でジョスチーヌはぜんぜん出てこない。途中でおかしいなあとは思ったのだが...ネタバレだけど、ラスト数ページで実はテレーズがジュスチーヌだと言うことが判明する。何だかほとんど意味がないないような気がする。
つまりこの主人公のテレーズがあれやこれや大変な目にあってしまう小説...これが実に何と言っていいか...思想小説だ。もっともブックカバーにはハッキリ「サド侯爵による思想小説」としっかり記されているのだから、間違いない。
テレーズは美徳を信条とする麗しき女性なのではあるが、その美徳を信条とするために、悪徳を信条とする男どもの縛めの下、とんでもない目に会い続けるのだ。何とか機知を巡らせたり、幸運に恵まれ、その悪夢なような男から逃げられたと思っても、逃げた先で助けを求めた男が、やっと逃げ出した男よりもっとヒドイ人間だったりするから不運この上ない。延々ソレが続くので物語終盤になると、ほんとうに「神も仏もないモノか」と恨むことこのうえない。
ネタバレになるがたぶん本書を読もうという人がこの書評を読んで一人もいないことを想定して書く...ラストでは、テレーズを偶然救った伯爵夫人こそ、彼女の姉であった。姉はその美貌をかてに悪徳の限りつくし、今の伯訳夫人という地位を手に入れたのであった(その詳細はたぶん「悪徳の栄え」同じサドの作品中に記載されているであろう...未読です)テレーズ...実はジュスチーヌ、は姉の庇護の下、いままでの数々の残虐で被ってきた体の傷を癒し、平穏な日々を送っていたある日、なんの前触れもなく、とつぜん落雷に当たり死んでしまう。
あまりに唐突に!
だから、何なんだこの小説は!!
よく考えたらサドさんにまともな小説を望むのは無理のことだし、イヤなら読まなければいいだけだ。読んじゃいましたけど、最後まで。
つまりこの小説はサドの邪淫な妄想を活字化したモノなのだ...しかしそれだけではない。あえて「思想本」と記されているだけのことはある。各地でたいへんな目に遭うテレーズだが、彼女にたいへんな目を合わせている男どもの特異で独善的な邪淫趣味のいいわけ的な主張が、そのサディスティックな描写よりもページを割かれている。簡単に言えば「私は何故サディストか?」ということが延々つづられているのだ。その辺が思想小説たる所以だが。
それらの主張に比べたら、エロチックな描写の少ないこと少ないこと。
そんな訳のわからない主張を延々読まされる自分のみにもなってほしい。仕事が終わってやっと帰ってきたビジネスホテルで一人、延々こんな小説読んでいるのだから、疲れるったらありゃしない。
しかも外は川崎の魔窟である。
頭が変になりそうだ。しかし、なによりすごいことはこの小説が日本で一番お堅いと言われている岩波文庫から出版されていることだ。岩波文庫ブラボー!!文学的価値があるならソレがどんな本でもきっちり翻訳して出版する。この意気込みさえあれば、岩波文庫は不滅だ!
フト気が付くと、去年の年末から今に至るまで、読んだ本のほとんどが岩波文庫だったことに気が付く。岩波文庫だけあったら生きていけるのかもしれないな、自分。
でも、本書はお薦めしません。一応言ったから。
言ったから。
あとは自己責任でどうぞ。オススメしません。とってもくら〜〜〜〜〜い気分になれます。