「しあわせの理由」グレッグ・イーガン

久しぶりに読んだイーガン。なぜか近所の市立図書館にはイーガンの蔵書が少なく、チョット離れた分館で見つける。新潟市長岡市の中央図書館ではほぼコンプリートしているので、三条市もそうして欲しいものだ。そうこうしているうちに結構買って読んでいたりする自分。そうか、読み終えたイーガンを図書館に寄付すればコンプリートできるんだ。
誰か寄付して(自分じゃないのか?)
本書は短編集。相変わらずもったいないというかアイディア満載というか...アイディアだけで物語に深みを持たせることを放棄しているように思えるほどのブッキラボウさ加減。コレこそがイーガンの短編の魅力である。
褒めているんだかけなしているんだか、わからん。
どの一編をとっても、そのまま長編になりそうなくらいのアイディアなのに、ソレを惜しみなく短編にしてしまう。なんかもったいないというか、贅沢だ。きっとわき上がるアイディアを何らかの形(この場合は短編小説だが)とどめておきたいというのがイーガンの創作姿勢であり、ソレができちゃうと満足してしまうのであろうか?初めてイーガンを読んだ人は必ず「え、コレで終わり」と思うことは間違いない。最初はそう思っても、出る短編出る短編ほとんどそうなので、やがて「イーガンってそういうものなんだ」と読者の方が妙に納得してしまうところがある。
そしてまた新たなイーガンファンができあがりってワケだ。
ところでイーガン、最近ぜんぜん新作出ていないなあ...ディアスポラ以降出てないんじゃないか?ひょっとして小説以外にアイディアを発表する方法をイーガンが発見してしまい(たとえば科学雑誌に新作アイディアを発表しているとか)小説に対する情熱が萎えてしまったとか?
いやいや、きっとまたとんでもない新作を構想、執筆中に違いない。そう信じよう。
とはいえ自分もまだ「順列都市」「ひとりっ子」が未読なので、そちらを先に読むことにしよう。
図書館に購入リクエストしようかな(←いいかげん買えよ)
表題作「しあわせの理由」コレは救いがない。脳腫瘍が原因で脳内物質のロイエンケファインが大量に分泌するようになってしまった主人公。ロイエンケファインとは主に幸福感を与える物質なので、本来は死に至る病である脳腫瘍に冒されているにもかかわらず、本人はいたって至福なのである。
とりあえずこのままだと死んじゃうので最新の医療を受け、めでたく脳腫瘍は完治するのだが、ソレと共にロイエンケファインの過剰分泌は停止してしまう。結果として猛烈な不幸感に苛まされる。
幸せも不幸せも脳内の化学反応に過ぎないという無常観とでもいいましょうか。
このほかにもディアスポラに続くような物語が何本かある。また神の存在をどう考えるかという物語もあり、科学ってのは追求していくと宗教とのかねあいがより強くなっていくというか、なんというか、何だろうねえ...自分にもよくわからない。
わらないことを「ああわからない」と悩むのではなくて「あははわかんねえや」と開き直って読むのもいいだろう。最近思うのだが...
「ぜんぜんわからないことも、エンターテイメントである」
なんか解脱しつつあるのかもしれないな、自分(←おいおい)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)