「死の家の記録」ドストエフスキー

最近のマイブーム(古いな)で「刑務所もの」ってのがある。刑務所ものの世界的大名作といえばコレ。ロシア文学を代表する大作家ドストエフスキーの「死の家の記録」ついにここまで来てしまった。
というほど大げさなものではないんだよ。ロシア文学なんてみんながいうから、とんでもなく敷居が高そうに思えるが、実際に読んでみるとそんなことはない。ま、題材が刑務所なのでそれなりに重いことは重いが。「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」と読んできて、何だかドストエフスキーってのは「はまるなあ〜」といった感じがするんだよね。
主人公のアレクサンドル・ペトローヴィチ(本編中ではあまり出てこないので、読書中に何度か主人公の名前を忘れてしまった)は新婚間もない妻の不貞に怒り、殺害してしまい逮捕。シベリアの流刑地へと送られることとなった。その後刑期を終え釈放された後もシベリアの地にとどまり、裕福な家庭の娘さんの家庭教師として静かに余生を過ごすのだが、しばらくして死んでしまう。彼の死後、彼の部屋から発見された膨大な刑務所内での記録、ソレが本書である。
という設定ではあるが、今更いうまでもないがコレはドストエフスキー本人の獄中記である。
先日読んだ日本の獄中とは違い、一様監獄はあるのだが、昼間は獄舎を出て街へ仕事に行く。終わると獄舎へ帰ってきて眠る。獄舎で内職をするものもいるし、お金があればたいていのものが手に入る。もちろん酒も手に入る。違法ではあるが看守も見て見ぬふりだ。
コレではただの出稼ぎみたいだが、もちろんそんなことはない。足に足枷、額に焼き印。一目で囚人とわかる。ああそうか「未来少年コナン」に出てきたインダストリアの地下の住人たちの額の焼き印のモトネタはこれだったのか。高畑勲だし、十分あり得るな。さて刑務所は、密告あり鞭打ちあり風呂は年二回だしスープには普通に油虫がういていたりする。やっぱり監獄へは入りたくないものだ。
物語のラストは主人公が刑期を終えて出獄するところで終わる。当たり前といえば当たり前だが、自分的にはソレよりも物語の半分くらいのところのクライマックスが印象的だ。それは監獄内でのクリスマス。熱に包まれた狂騒。看守たちを招待しての演劇。こんな地獄模様の中でもそれなりに楽しみがあり、そんな状況だからこそ、まるで本物の神様に祝福されたような至福感に包まれてしまう。泣けてくるよ、まったく。
ドフトエフスキーは、とりあえず以前挫折した「悪霊」にもう一度挑戦してみようかと思う。

死の家の記録 (新潮文庫)

死の家の記録 (新潮文庫)