鳥人プロローグ

 空を飛ぶ鳥にとって、生活環境は人間のそれとは大きく違い、三次元的です。人間は地面に張り付くように生きていますが、鳥はそこに高さが加わります。もともと人間と鳥とは生活圏が違います。犬や猫などのように、ほとんど人間の管理下におかれている動物たちと違い(飼われている鳥ももちろんいますが)世界中のどんな都会にいっても鳥は環境に見事に順応して暮らしています。適応力が旺盛で、あまりに数が増えすぎると、こんどは人間との軋轢が増してきます。都会のカラスなど良い例です。
 一羽ずつ丹念に観察すれば結構カワイイ表情もするカラスですが、それが数十羽も集まったら、やはり脅威を感じます。新潟港のあたりへ行くと、今度はカモメが沢山います。都会のカラス並です。カラスと一緒で慣れたもので、かなり人間に近づいてきても平気です。まったくこいつらと来たら環境慣れしている。
 割と頭のいい動物だということは知られていますね。道具を使って器用に虫を捕る密林の小鳥。そんな大げさではなくても、よく木材の材料置き場にセキレイが巣を作ります。そこでなんと「ガラスのかけら」が大量に置かれてあるのを見つけました。ガラス...小石だったら何となくわかりますが、ガラスだとあきらかに生存には不要な品物です。あきらかに「コレクション」していたとしか思えません。ガラスはきらきら光って綺麗ですし。これらコレクション行動はあきらかに「知的好奇心」の現れではないでしょうか?他にも以前買っていたセキセイインコなどはしゃべりこそしませんでしたが、フンよけにカゴの底にすいた新聞広告チラシのカラー部分を、嘴で器用にちぎり取り、自分の体に装飾としてつけはじめているではりませんか。驚くやら、カワイイやら。得てして、このように人間の行動に近い事を動物にやられると、人間は彼らをたまらなくかわいく感じるようです。
 古今東西を問わず鳥の空飛ぶ姿に憧れて、自らも飛ぼうと思い、試行錯誤を繰り返し、あまつさえ命まで落としてしまった人間も多かったのでしょう。これは仕方がないのです。実際に目の前に起こっている現象は、必ず自力で再現が可能だと思いこんでしまうのは、人間の悪い癖です。しかしその悪い癖のために、ここまで素晴らしい科学発展してきているのです。ただ動力も使わず自力、自分の筋肉の力だけで飛ぶには、ちょっと体重が重過ぎはしないか?
 
 こんなモノクロフィルムを見た。
 パリのとある塔の屋上では、奇妙な自作の羽根を身につけた、自称「鳥人」が今まさに空を飛ばんとする姿を映しだしている。飛ぼうとしたり、はぐらかしたら。塔の下ではどこからか聞きつけてたのであろう野次馬と新聞記者がひしめいていて、人間が大空を飛ぶ瞬間を今や遅しと待っているのである。「はやくしろ、臆したか」「いつまで待たせるんだ」「できっこないよ。そのうち恥ずかしそうに降りてくるよ」
 鳥人は困った。まさかこれほどの騒ぎになるとは思ってもみなかったのだ。しかも、こんな高い塔から飛び降りるなど狂気の沙汰だ。もっと低い塔。せいぜい二階建ての屋根くらいなら失敗したところで足の骨折程度で命には別状ないだろう。「高い塔から飛んだ方が成功する確立が増えないか」悪魔のささやきであった。その男は初めて空を飛んだ者に、多額の賞金を差し出そうと申し出てきた。細く高い体躯にとがった顎。厚い眼鏡をかけているせいで、本来の目の形がわからない。綺麗にそろえられた髭には気品というより、どこか人を見下した冷血さが漂っている。どういった経歴かはわからないが、その後の素早い段取りで、この項の屋上を確保し、自らキャメラを廻し、鳥人飛翔のその瞬間をそれに納めようと待ちわびているのだ。
 「君は知っているのか?このキャメラというのは今世紀最高の発明で、これで撮された物体は、あたかも命を吹き込まれた様に絵が動き出すのだよ」「それがどうしたというのだ!」すでに今日の飛翔を中止する口実を見失ってしまった鳥人は、それでも彼の恐怖をたたきつけるように叫ばずにはいられなかった。「今日は風が悪い。このまま飛んだとしてもうまくはいくまい。この飛行装置も壊れてしまっては修理にどのくらいの期間と費用がかかることか!」「そんなことを心配していたのかい。これはこれは。案ずるには及ばないよ。その程度も修理代なら私が全額もとう。万が一、君が怪我をするようなことがあってら医療費も全て私に任せなさい。ま、もっとも君が死んでしまうようなことがあっては、修理費も医療費も必要ないがね」鳥人は男の口元がいやらしく歪むのを見つけた。なんて事だ、こいつの目的は始めから俺が空を飛ぶ姿をキャメラへ納めたいのではなかったのだ。「さて、いつになったら世紀の実験は始まるのかな?塔の下では待ちかねた民衆が暴徒化しようとしているではないか」「そんなことは関係ない!飛行に適した風が来なければこの実験は成功しない!」「またまたご冗談を。そのご自慢の羽根を羽ばたかせることによって無風状態でも飛行可能と言ったのは、君だぞ」いやな細かい事ばかり憶えている。
 「それに、こうしてキャメラに君の姿を映しているのだが、飛行の決定的瞬間を取り損なう事がないように、さっきからずっとフィルムを廻し続けているのだよ。君は知っているか?このフィルムというものがなければ、キャメラは動く絵を記録することができないのだよ」それが自分とどんな関係があるというのだ。しかし鳥人はもはや男の奇妙な言動にからめ取られている。喉元まで出かかっている「だまれ!」の一言を発することができない。男は、あとはそっと背中を押し出してやるだけだなと、言葉を続ける「そのフィルムというのは、一巻で三分の記録ができる。新発明、故の貴重品でね、このフィルム10巻の方が、皮肉なことに今回君に進呈する賞金より高いのだよ。塔に登ってそろそろ一時間だな。ナゼそんな無駄をするかと言いたそうだね?このキャメラというものは、これから世界を席巻する。世界を替えてしまう力を持っているんだよ。ところが残念なことに、まだそのことに気が付いている人間がほとんどいない。キャメラとはそこに写す出されている人間とおなじ体験を、観ている人も体験できる機械なのだよ。すばらしいと思わないかい?是非君の世界初、人類が空を飛ぶ瞬間の感動を多くの人たちと分かち合ってみたいと思わないか」なにをかいわんだ。貴様のたくらみはお見通しだ。貴様がそのご自慢のキャメラというモノで撮りたい者は、感動の人類初飛行ではなく。俺の墜落だろう。鳥人はこれまでも飛行の可能性について、過剰ともとられかねない大口を叩いたものだから、今更飛行実験を止めるわけには行かないという状況まで、巧妙に追いつめられてしまっていた。やられてたまるか。やられる前にやってやる。目にモノ見せてやる。自分が墜落するよりは人殺しの汚名を来てでも生き続けた方がマシだ。しかもこいつは世紀の新発明キャメラで人間が高い塔から地面に墜落する様を記録したいだけの悪魔だ。こんな悪魔なら、人の命を命と思わない悪魔なら、殺してしまったところで、死んでしまったところでしょうがない。鳥人は高所での緊張と葛藤を繰り返して、現実離れした、とはいえその貧弱な飛行装置で飛ぼうとした時点でかなり現実離れしているのではあるが、そのような精神状態ではまともな解答はえられようがない。意は決した。鳥人は空中に飛び出すフリをして、助走を付けたその勢いで、悪魔の男に体当たりを食らわせた。
 「ああ〜」「お」「ぐわー」セリフにならない、声とも言えない声が塔の下の野次馬たちから発せられた。
 鳥人は確かに男に体当たりを食らわせたはずなのだが、雲をつかむような手応えのなさで、勢い付いた体はそのまま塔から飛び出していった。そんな馬鹿な?確かに男に向かって全体重を食らわせて上げたはずだが。まるで男の体をすり抜けてしまったようだ。いや違う。その時鳥人は見てしまった。すり抜けたのではない、届かなかったのだ。鳥人の渾身の一撃が男に届く前に、鳥人は塔から足を踏み外し真っ逆様に地面に向かっているのだ。落ちいきながら見上げたその空中には、男が浮遊している。
 なんてこった、本物だったのか。
 「いい絵が撮れそうですよ。さあにこやかに笑ってください」
 あははははははははははは。笑っている場合ではないが、鳥人は意志とは関係なく笑ってしまった。いや、本当に笑っている場合ではない。こうなれば頼れるモノは自らが作り出したこの飛翔装置しかない。片側2メートルほどの布製の羽根が両手に一つづつ。腕もちぎれんばかりに振り続けるのだ。奇跡よ、起これ。
 おお、見よ。鳥人は徐々に落下速度を落とし始め、やがて空中停止ではばたきをしている。そして、ゆっくりゆっくり空へと向かって行くではないか「とんでる、飛んでる!俺は今、空を飛んでいる。奇跡だ。おい悪魔め見ているか。おれはいま自由に空を飛んでいるんだ」
 ドスン
 「奇跡は起きませんよ。いい絵が撮れました、ありがとう」塔の下では野次馬が二重三重と遠巻きにしている。やがて騎馬警官達もやって来て事情を聴取し、それが終わると野次馬には解散を強制した。いつまでも鳥人のむくろをさらしておくわけにもいかず、このような場合には常に用意してある布をそっとかぶせた。貨物馬車の到着はまだかと、警官はたたずんだ。
 すでに男の姿は塔の上にない。