「ふぉん・しいほるとの娘」吉村 昭

どうも吉村昭がマイブームのようだ。もっぱら出張の朋には彼の本が選ばれる最近である。二月の終わりから三月はじめにかけては丸二週間出張で、しかも前半は大分ってことだったので、飛行機の乗り継ぎ時間を待っているだけでえらいひまである。そこでちょっと分厚い大河ロマンなんかを読んでみたいと思い、めずらしく古本屋で買ってしまった上記本、文庫で全三巻。確かに読み応えがあった。吉村にはずれなし。
江戸時代の末期にオランダ医者として日本にやってきた、おなじみシーボルト先生ではあるが、いきなり「実はドイツ人でした」でびっくり。そんなこと歴史で習わなかったぞ。
当時は長崎出島以外での生活はオランダ人に認められていなかったので、寂しさ紛らす人の肌ってなことで(おい)地元娼家からシーボルトの下へ派遣されていたのが、其扇ことお滝さんであった。やがて彼女は懐妊し、それがこの物語の主人公であるお稲であった。
ところがご存知シーボルト事件。え、知らない?実は自分もそんなに歴史マニアじゃないから知らなかったけど、当時ご禁制だった日本の正確な地図をオランダへ持ち出そうとしたことが発覚した。それだけではなくて将軍様より諸国の有力学者たちに賜れたし品々まで、当時貴重な海外文献などと引き替え条件ということで狡猾に手に入れていたシーボルト先生の悪事(?)が全部ばれてしまい、哀れ先生は日本に其扇とお滝を置いたまま永久国外追放となってしまった。
さて残された二人。幕末という歴史の転換期に波乱万丈の人生を送ることになるのだが、その後お滝のむすめ「ただ」(その出生もまた波乱万丈)も含め女系三代の物語がつづられる。
やがて日本も開国ということになり、シーボルトの罪もすでに意味をなさなくなり、めでたく再来日となり、感動の親子の対面となるはずだったのだが...どうもこのシーボルト先生というのは一筋縄では行かない人物らしく...てか、目いっぱいあやしいのだが、世渡りだけは妙にうまいタイプ。そこまでひどく描写するかといったシーボルト像に、歴史上の偉人といったパブリックイメージがガラガラ音を立てて崩れ去ってゆく。
ま、これが史実に基づいた真実と読むか、歴史に絶妙に脚色したフィクションととるか、それは読者各人が受け取ることであって。すべては歴史だけが知っていることである。
講談師、見てきたように講談し。
これこそ吉村、真骨頂である。