「アニメーションの世界へようこそ」山村浩二

ご存じアカデミー賞受賞の「頭山」の作者、山村浩二である。子供向けにアニメーションの歴史から現在に至るまで、いわゆる日本が誇るオタク文化「アニメ」を抜きにした、正調アニメーション話。
彼が愛地球博でアニメーションの博物館を出展していたなんて知らなかった。「頭山」以前の傑作「バベルの本」がたった一ヶ月で作っていたなんて、ビックリした。
もう何度もここで書いているけど、実は自分、学生時代は映像ゼミやっていて、卒業後はアニメーションの仕事がしたかった。ソレがどこをどう間違ったのか、紆余曲折アリ実家に帰り、貧困にあえぎながら木工職人やっているなんて、学生時代には想像もしなかった(それは、ま、おいておいて)本書を読んで何故自分はアニメーション作家になれなかったか、よくわかりました。自分は...頭が悪かった....コレにつきる。
やはり気がつくのが遅かったのだろう。本書の中でも言われているが「みんな本編のアニメーション制作に力を使い果たしてしまい、音響効果まで頭が回らないんだ」のようなコトが書いてある。まさに今自分が本当に思うのはそのことだ。芸術としての音楽と映像には「時間軸に沿った鑑賞」という共通の特徴がある。つまり、絵画や彫刻などは見た瞬間「あ」と思ったりじっくり見て「う〜む」と思ったり、鑑賞するに際して時間は関係ないけど、コト映像と音楽に関しては、その作品が終了するまで、最後まできっちりつきあわなければいけない。速読得意だから一冊一時間で読めるという人はいても。早送りでも内容はわかるからと言って、映画を早送りで見る人はまずいないであろう。その辺が音楽(音響)と映像というのは実に似ている兄弟のような芸術表現なのだ。
ああ、学生時代にこの真理に気がついていればもっと違った作品へのアプローチができたのに。40過ぎたごく最近にやっと気がついた...ほんと頭わるいよ...ま、それだけではぜんぜんないんだけれどもね。
ちなみに、57ページにちらっとでてきた「個人アニメーション作家、相原信洋」って人が自分の先生でした。いや、実はほとんどなにも教わってなかったんだけど...(←おいおい)そういえば学生時代にはアニメーションの(アニメではない)自主上映会へよく行ったなあ。
現在のようにパソコン全盛時代、個人アニメーションの制作スタイルもずいぶん変わったのだろうな。やはりフラッシュがメインなのだろうな...今現在の自分の考えを持ったまま、学生だったら間違いなくパソコンで作品作っているだろうな。
てか、今ならお金が無くて、とても美術学校へはいけれないのが間違いないな。