「邪魅の雫」京極夏彦

ようやく読了しました。
そんなわけで、つまらなかった理由をいくつか考えてみた(←いきなりそこかね)
「榎木津が活躍しなかった」
それを言っちゃおしまい。ま、物語上活躍するわけにはいかなかったことはわかるが、なんかね〜
「雫のキャラが立ってなかった」
雫...つまりこの物語に登場する毒薬なのだが、ソレの出自も含めて、何だか非常に中途半端な存在で、絶対的究極毒薬とか仰天吃驚兵器とか超絶不自然科学(たとえばもうりょうのはことかみたいに)という存在感が希薄だったせいで、物語り全体も希薄だったようにおもえる。
「被害者や関係者が、やたらと偽名をつかっていたので、登場人物や被害者が、誰が誰だか訳がわからなくなってしまった」
今までのシリーズと違って今回の京極道は「閉鎖された特殊空間」ではなくて「解放された日常空間」で連続的に事件が起きるわけだが、それではヌルイと考えたのだかどうかわからないが、京極先生が用意しした不思議空間とはこの「誰が被害者か、関係者か、登場人物がワケのわからない仕掛け」なのかもしれないが...本当に訳がわからなくなってしまった。
「特に誰からも懇願されたわけもないのに、突然憑きもの落としに登場する中尊寺
一応長野の警察署長からの依頼と本人が口頭で説明しての登場だが...あの異様に腰の重い彼を持ち出すのに「実は誰それさんから依頼があってやってきた」てのはどうなのかな〜?
「物語のラストで中尊寺に『首謀者は○○です』....と言われても、○○が誰だかわからなかった」
とりあえず本作品は妖怪小説であって、推理小説ではないってコトでしょうか?
読んでいる最中に何度「初期の京極堂シリーズって、なんておもしろかったのだろうか〜」と思ってしまったことか。いつの間にか京極先生の最大のライバルが、過去の自分自身になってしまっているこの事実を知ったコトが、今作品の「なんかつまんね〜」気分の最大の原因ではないかと思えてならないのである。
いや、そんなことはない「邪魅の雫」は傑作である....というご意見お待ちしております。
ようやく新刊が出たというのに、前作の「おんもらきのきず」がすでに文庫化されているってのも、問題ないっすか。文庫や愛蔵本の版組みレイアウト(彼の出版物はすべて作者自身が版組しており、ページ最後はかならず「。」で終わることは有名)している時間を新作執筆に費やして欲しいと切に思うのだが...

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

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