「火星の人類学者」オリヴァー・サックス

こんな怠惰な日々でも、ヒマを見つけては読書している。
20年くらい前の映画で「レナードの朝」というロバート・デニーロ主演の映画を知っているだろうか?恥ずかしながら自分も未見だが、その作者が書いた科学エッセイがこれだ。確か何年か前に新聞の書評で読んで気にはなっていたのだろう。
著者のオリヴァー博士は脳神経科医として長年特異な患者たちと向き合っている。交通事故の後遺症で色盲になってしまった画家。いつも同じテーマである故郷の風景を描き続ける画家。一度見た風景を写真のように記憶して、紙の上に精密に再現できる画家。脳腫瘍の後遺症から新しい事柄を記憶できなくなった人。激しいチック症状に見舞われながら、でも実は凄腕の外科医。長年盲目だった人が、医学の進歩で見えるようになったが、目に見えるモノを全く認識することができない人。いろいろ大変そうな人々が登場する。これだけ科学が発達しているにもかかわらず、人間の生命の根幹とも言われる「脳」については、まだまだ謎の部分が多いのだ。
中には障害があるにもかかわらずうまく世間と折り合って、サヴァン的な能力を遺憾なく発揮している人もいる。だがかなりの努力をして社会生活を行っている人の方が多いのだろう。表題の「火星の人類学者」とは、一番最後のエピソードの登場人物で、自閉症の動物学者である。彼女は人間にシンパシーを感じることができず、他人と接する際には「こういったときにはこういう反応をするモノだ」と言ったように頭の中にライブラリーを作り、それを規範に人間らしい行動をしている。そして自分のことを「火星の人類学者のようだ」と称している。動物学者なので動物たちへの愛情は感じているのだが、人間に対しては感じることができないのだ。何故そうなのかはわからない。
そんな彼女も安らぎを感じたい。人のぬくもりの愛情表現として抱きしめる行為「ハグ」は存在するのだが、彼女はその行為に安らぎを感じることができない。そこで考え出したモノが「ハグ板」(自分が勝手に命名した。羽子板ではない)二枚の板の間隔を電動装置で狭めていく装置だ。どうやって使うかというと、その板の間にかの上が挟まり、スイッチオン。両方の板に前身を強く挟まれる事によって、まるで母から抱きしめられているかのような安らぎを覚えるのだそうだ。彼女が人から抱きしめられても安らぎを感じることができないのに、この無機質の板に挟まれることによって、安らぐことができるのだ。
正直わけがわからない。
著者にもこの安らぎを体験するよう勧める彼女だが、当然著者にも全く理解できない。人間のアイデンティティーって何だろう?なんかそれでもたくましく生きてやるってな感じが心からわきでてきたなら、それでヨシとしよう。多様性あっての人生だ。たぶんそうだ。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)